昨日
小児整形に通院され
装具も使用されていた方のご両親さまと
お話させていただく機会が偶然あった
“先生は著名な先生で
大変恐い先生だった
装具屋さんは
常に先生寄りで
親身になって話を
聞いてくれなかった”
ご両親はしっかりしたお方で
何とか乗り越えることができたと思うけど
普通のご両親やったら
不安に押し潰されてたんじゃないかな
そう思うと我々の立ち位置を
考え直さなきゃいけないんじゃないか?
と素直に感じた
確かに先生の処方は絶対です
しかし
使ってもらえない装具をつくるのは
悲しいのです
我々義肢装具士は
先生の治療方針と
使われる方のご要望の
折衷点を見出すのも仕事ではなかろうか
先生は我々に
【仕事を与えてくださります】
お客さまは我々に
【報酬を与えてくださります】
それらの架け橋になるのが
病院に属さない存在である
我々のできる
素晴らしい仕事ではないでしょうか?
「明日に架ける橋」という
サイモン・アンド・ガーファンクルの
歌が僕は大好きなんです
Like a bridge over troubled water
荒れた海にかかる橋のように
I will lay me down
僕が体を横たえるから
私は
お客さまやお客さまのご家族さまと
お医者さまの
架け橋になりたいのです
基本に立ち返り
我々の立ち位置を
ともに
もう少し考えてみませんか?
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板挟みと紙一重なんですよねぇ。 処方の苦手な医師と、更生相談所の狭間に苦しむことも多いですぅ・・・ 当然、お客様の支援に回りますが・・・
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>まねきねこが好きさん 板挟みということは
仲介役をちゃんと全うされている
証拠ですやん
素晴らしい
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たぶん、お誕生日が一緒です。
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>まねきねこが好きさん かぐや姫っすか! 妹も好きです
妹いませんが(笑)